10月4日から6日まで、熊野の聖地を巡る旅を金山教授に案内して頂きました。
10月5日早朝、昨日の雨で、那智の滝の水量は通常より1.5倍程激しく、水しぶきを上げ、更に中腹まで登って近くで拝みました。凄い滝の霊力を感じます。
その後、那智山をさらに登り、観光客が殆ど行かない阿弥陀寺にお参りしました。
熊野は甦りの地とされ、疑死再生を願う民衆がこの山の阿弥陀寺まで足で登りたどり着くには、険しく困難で、道中で飢えて死ぬ人も絶えなかったらしい。又、餓鬼が現れたり、死者の霊に憑かれたりすることはざらにあったと聞きます。「亡者の熊野詣で」といって人が亡くなるとここの鐘を鳴らしてからあの世に旅立っていくという一つ鐘があります。全体に霊気が立ち込めています。
昼食を終えるとすぐに補陀落渡海船の模型が保存されている補陀落山寺を訪ね、金山教授からレクチャーを受けました。
8世紀から9世紀にかけて実際にあった補陀落船はこの寺が出発点だった。
生きたまま30日分の僅かな食糧を積み外へ出られないように船の出口を外から釘付けされ、大勢の人に見送られて、那智浜の沖の綱切り島まで行って、綱が切られると、観音浄土を目指して南海の彼方へ船出した。当時の民衆を救う為の自己犠牲、すなわち、生贄と同じような意味を成し、江戸時代まで続いたらしい。
日本人の信心深さの底知れぬ異常な力を感じます。
那智大社に戻り、男成宮司に熊野本宮大社と那智大社の奉納画をプレゼンしました。男成宮司はその構想に驚かれ、積極的にご意見を頂き快く奉納を承諾していただきました。その後本殿でお祓い儀式をしてお清めしていただきました。
その後青岸渡寺のご住職にも報告。
那智大社から猛スピードで熊野本宮大社に駆け付けた時は、すでに夕方6時近くとなり辺りは暗くなっていました。
ここで、九鬼宮司様と再会して那智大社同様の熊野曼荼羅の提案をしました。
宮司は、「もう世界遺産20周年のキャンペーンの一過性のイベントではなく、熊野の永久的な存在をPRする為の奉納画発表を行いたい。来年は蛇年であり、これまでの日本からの脱皮を計る時だと認識している。新たに始まるその第一歩と捉えてそれを熊野から発信する為に奉納画を活用していきたい」と大変光栄なお言葉を頂きました。
ハードな一日でしたが、晴れ晴れとした両社の奉納画快諾日となりました。